京都のほうじ茶といえば強火、という言い方を見かけます。ここでは京都の茶商が公開している本文を読んで、強火という言葉がどう使われているかを確かめます。京都全体の歴史を語る記事ではありません。言葉がどこまでを指しているのか、そこだけを見ます。文化の話には踏み込みません。

強火で焙じる、という説明

矢野園は、ほうじ茶は強火で焙じたものをいうと説明しています。その魅力は何といっても独特の香ばしさであるとし、また高温で焙煎するため、高度な技術が必要な点も特徴だとしています。強火という言葉が、ほうじ茶の定義の側に置かれている説明です。香ばしさが魅力とされています。

ここで出てくるのは、火力の強さと、それを扱う技術の話です。強い火を当てれば必ずおいしくなるのではなく、強い火だからこそ難しい、という順番で書かれています。読み飛ばしたくないところです。難しさまで書いてあるところが、この説明の誠実な点です。強い火は、扱いが難しいわけです。

同じ店に、強火と浅炒りがある

舞妓の茶本舗は、玉露や煎茶の製造の際に選別されたかりがね、つまり茎茶を強火で焙煎したほうじ茶を扱っていると説明しています。「ほうじ茶香り風味」は、じっくりと焙煎され、色も濃く、強い焙煎香が広がるとされています。原料はかりがねで、火力の側を変えている商品です。色と香りの濃さも説明されています。

一方で「浅炒りほうじ茶」は、香り風味に比べて弱火でゆっくりと浅めに焙煎しているとされています。浅く炒ることで、ほうじ茶の香りはもちろん、かりがねの香りも存分に味わうことができると説明されています。何を残したいかで火力を選んでいる、という説明になっています。原料の香りも残るそうです。

同じ店に、強火のものと弱火のものが並んでいます。原料はどちらもかりがねです。火力の選び方で、何を前に出すかを変えている。そういう作り分けが、商品名と説明の対応から読み取れます。店のなかに選択肢がある、という事実が手がかりになります。商品名と説明を対応させて読みます。

京都全体の話にはしない

今回集めた茶商の本文からは、京都に固有の強火焙煎の文化がいつ成立し、どう継承されたのかは確認できませんでした。京都のほうじ茶がすべて強火や深煎りである、京都だけが強火を使う、とも言えません。確認できなかったところは、確認できなかったと書いておきます。埋めるのは資料が出てからです。

もう一つ。強火というのは火力の説明で、深煎りというのは仕上がりの説明です。同じ意味の言葉として置き換えないでおきます。分かるのは、京都の茶商が強火と浅炒りを選び分けている、ということまでです。火力と仕上がりを分けて読むと、店の説明がずっと正確に伝わってきます。そこで十分です。